9月、10月の演奏会に向けて
全合唱団員、関係者全てに郡司先生からメッセージが出ています
9月、10月の演奏会に向けて
2020年7月27日 郡司博
マスク、手洗い、社会的距離。何とも不愉快なこの状況がいつまで続くのか、誰も見当がつかない。まして誰も示してくれない。
4月、5月と練習とコンサートがなくなり、6月から少人数の練習が、7月からは半数ずつ交代の練習が始まった。大きな不安は合唱団が再開した時、いったい何人の人が集まってくれるのか?残ってくれるのか?これまで50年かけて作りあげてきたものが、いちどきに崩れ落ちるのがみえるようだった。アマチュアの合唱など三密、不要不急の最高位にランクされるものであり、ただの大声と訓練された発声を同列視し合唱を飛沫感染の元祖のように恐怖を煽るむきもある。それに私事だが75歳の立派な後期高齢者になり、これを機会に「周りが迷惑だからそろそろ引退したら」と苦言も聞こえてきそう。自分でもそう思わないでもない。だがコロナに負けて、引退して、天国に行ったら久しぶりで出会う先輩たちにみっともなくて顔向けもできない。なんとか良い方向で解決ができるまで頑張らなければと思うのだが、その頑張る手段もなかなか思い当たらない。所詮僕は合唱指揮者。そこで渡部智也さんが発信した〈コロナ禍に自宅でできる発声練習〉の評判の良さに刺激をうけ、今練習中の楽曲を郡司指揮の動画入りDVDを作り全員に配った。一作目を出したところで気に食わないところを発見、結構大変な思いをして第二作目を作ったので見ていただければ幸いです。一回目は普段着だったが今回は舞台衣装で。これをみた団員からの反応はまだない。
アマチュアという合唱団員の前で指揮をして10年ほどたった時、若気の至りで、ある有名なコンサート指揮者と諍いをおかし追放され、それまで雇われ指揮者であったことに愛想を尽かし自分で合唱団を立ち上げた。新星日響、都響、日本フィル、新日フィルとの共演の機会も得てクラシック音楽の名曲や大曲にも挑戦する機会を得た。その間、新星日響の解散を始め想定外の困難はあったが、今回の〈コロナ〉ほど敵を見極め戦う手段を明確にできなかったことはなかった。
40年近く前の話だがバッハの『ロ短調ミサ』を練習している時、練習会場が毎回変わり会場探しにも苦労していた時(これは今でも変わらない)、カクニビルのオーナーの伏見さんが「どうぞここをお使いください」と提供してくれたのがカンマーザールだった。そこはその後練習の拠点となり、小さなサロンコンサートも頻繁に行われ、事務所も倉庫も充実し、合唱練習やコンサート運営のエンジン部分となった。今回の自粛期間、コンサート・練習会場がどこもない中、自由に使えるのがこのカンマーザールだけだった。他のほとんどの会場が閉鎖や使用が限定される中で、ここは自由に使えた。これまで共に活動してきた演奏家仲間に声をかけ、7月&8月で13回のコンサートが行われることになった。また6月から徐々にではあるが合唱団の練習も再開した。カンマーザールがどこよりも早く動き出したのである。練習やコンサートでは感染防止のためアクリルボードやビニールシートを配置した。9月に予定している初のコンサートでは演奏者とお客様がともに安心できるように合唱団員には個人用の透明ボードも考えている。当然合唱団員やお客様にも手指消毒をお願いし、マスク着用と検温にもご協力をよびかけている。
サロンコンサートはベテランから若者まで多様な演奏家が出演してくれている。現在まで約1/3が終わったが、どの出演者も数か月間の沈黙状態から解放され、のびのびと自由闊達、自由自在な演奏を繰り広げてくれている。それまで手足をもがれていた彼らが一気に両手両足を広げ爆発させたのである。聴衆もいつもと違い、連れ立ってくる人はいない。みな押し黙り修道僧のように待ちに待った開演をまつ。私は緊張と集中の中に生まれる奏者と聞き手の一体感と胸を刺す演奏に感動した。
合唱練習も間隔を2メートルをあけることで合唱の原点ともいえる一人一人が頼らず自力で音楽をしていく、そして頂点を作り上げようとする意欲が生まれた。合唱の理想とする姿がそこにあったのだ。これからも何があるかわからない。準備中の9月5日、10月17日のコンサートも、いつ中止せざるを得なくなるか誰もわからない。もちろんまだ以前のような音楽活動は復活していない。世間的にはアマチュア合唱は三密や不要不急の最たるものに違いないが、復活は誰もやってくれない、私たち自身一人一人がやる以外ないのである。それも最大の忍耐と慎重さを持って。